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東京地方裁判所 平成7年(レ)234号 判決 1997年8月01日

控訴人(原審被告)

斉藤喜吉

右訴訟代理人弁護士

鈴木堯博

岡村実

被控訴人(原審原告)

斉藤孝雄

主文

一  本件控訴を棄却する。

二  控訴費用は控訴人の負担とする。

事実及び理由

第一  控訴の趣旨

一  原判決を取り消す。

二  別紙物件目録記載一の土地(以下「目録一の土地」という)と同目録記載二の土地(以下「目録二の土地」という)の境界(以下「本件境界」という)は、別紙図面イ'点とA点とを直線で結んだ線(以下「イ'A線」という)であることを確定する。

三  訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

第二  事案の概要等

一  事案の概要

本件は、目録一の土地と目録二の土地との境界の確定を求める事案であるところ、前者は被控訴人の、後者は控訴人の各所有土地であり、両土地は前者の北側辺と後者の南側辺において互いに接している(甲一ないし三)。

なお、別紙図面は鑑定の際作成された平成四年八月二四日付筆界現況図であり、以下本判決文中でイ、ロ、A及びB等と表示する各点は特に断らない限り右図面中に記載された各点を指す(各点の位置は別紙図面各点説明文記載のとおりである)。

二  当事者の主張

1  控訴人(原審被告)の主張

(一) 以下の諸点からすれば、本件境界はイ'A線である。

(1) 控訴人が目録二の土地を購入した際、売主から当時イ'点からA点のコンクリート杭へと伸びていた大谷石による土留め(以下「本件石垣」という)を示され、本件境界はイ'A線であるとの説明を受けた。

(2) 本件石垣は、当初イ'A線上に存在したが、目録二の土地と目録一の土地とでは目録一の土地の方が地表面が高いので土留めとしての本件石垣はずり落ちる形で目録二の土地の方へと徐々に移動したため、また、昭和五〇年に控訴人ほか四名(被控訴人は含まない)が目録二の土地の東南端に接し、公道につながる私道(いわゆる二項道路。以下「東側私道」という)において行った排水設備工事(以下「本件排水設備工事」という)の際にも人為的に移設された結果、イ'A線上からずれて現況となるに至ったのである。

(3) 目録一の土地及び目録二の土地並びにこれらの隣接周辺土地(以下「本件周辺土地」という)が所有者である国から分筆の上払下げられるに際して昭和二四年一〇月一〇日作成された右周辺土地のそれぞれの実測図(乙四、五及び一五の1ないし4、以下、乙四を「実測図一」と、乙五を「実測図二」という)に照らしても、目録二の土地及び世田谷区北沢五丁目八一七番一二の土地(以下「佐野土地」という。なお、本件周辺土地は番地以下のみで特定する)等の分筆払下げ当時の境界の状態は明確であり、右記載によれば、本件境界がイ'A線であることは明らかである。また、本件排水設備工事により設置されたL字型側溝は、右実測図一及び二において示された目録二の土地の形状に合致する。

(4) A点は、目録一の土地、目録二の土地及び佐野土地の三筆の土地が、順次北東角、南東角及び北西角の各点の一点で接している境界点を示すものとして昭和二四年当時から存在するコンクリート杭の中心点である。

(5) 本件排水設備工事の経緯は、本件境界がイ'A線であることを前提とするものであった。すなわち、右工事では東側私道と各所有地を接する数名の者が施行主体とされたが、被控訴人は施行主体としては扱われていない。なお、その際、イ'A線上にまたがって被控訴人使用のためのマンホール(以下「本件マンホール」という)が設置されているが、それは後記のとおり被控訴人の依頼を受け入れた控訴人の好意によるものである。

(6) 平成二年の被控訴人方改築工事(以下「被控訴人方改築工事」という)に際して、被控訴人は当初、本件境界がイ'A線であると記載された図面(乙七の2。以下「改築工事第一図面」という)を控訴人方に持参した上、その後、控訴人との間で境界の紛争が生じると、イ'A線上に目録一の土地と目録二の土地との障壁として仮設テントを設置しており、右各事実に照らすと、被控訴人は本件境界がイ'A線であることを自認していたし、現在でもそのように認識しているというべきである。

(二) 被控訴人の主張は以下の点に照らし理由がない。

(1) 被控訴人が登記所備付け地図として提出する分筆地図(甲三。以下便宜「公図」という)は、細部において現況と一致しない点が多く正確性を欠き、本件境界を定める指標とはなり得ない。

(2) 平成二年に本件境界に関する紛争が発生するまで、控訴人と被控訴人とは、本件境界がイ'A線であり、目録一の土地と東側私道とが接していないことを相互に了解していた。被控訴人は、イ'、ロ、A及びイ'の各点を順次結んだ線で囲まれた部分の土地(以下「本件係争地」という)を目録一の土地から東側私道へと出る際に通行していたが、控訴人は右了解があることを前提に好意で黙認していたにすぎない。

(3) 本件マンホールの設置位置がイ'A線上にまたがるのは、被控訴人方建物と本件境界との間が狭隘でありマンホール設置場所がないことをおもんぱかった控訴人が好意から自己所有地にまたがって設置することを認めた結果にすぎない。

2  被控訴人(原審原告)の主張

(一) 以下の諸点からすれば、本件境界はイ'点とロ点とを直線で結んだ線(以下「イ'ロ線」という)である。

(1) 被控訴人は、目録一の土地を購入した際、売主から本件境界は本件石垣の北面すなわちイ'ロ線であるとの説明を受けた。

(2) 本件石垣は、イ点とイ'点とを直線で結んだ線(以下「イイ'線」という)及びその延長線上にほぼ直線上に並んで存在しており、その北面はイ'ロ線に一致する。ただし、本件石垣は、東端部付近が本件排水設備工事により撤去されており、ロ点に至る西側部分が一部途切れている現況である。

(3) 公図によれば、目録一の土地の北側境界線は一直線であり、この点からもイイ'線の延長線、すなわちイ'ロ線が本件境界であることが裏付けられる。

(4) 被控訴人は、目録一の土地購入以来、本件係争地を東側私道へ出る通路として利用している。右利用は、本件係争地が被控訴人所有地であるからであって、当然の権利行使である。

(5) 本件排水設備工事に伴い、被控訴人のための本件マンホールがイ'A線上にまたがって設置されたが、これも本件係争地が被控訴人の所有に係ることを示すものである。

(二) 控訴人の主張は以下の点に照らし理由がない。

(1) 控訴人が指摘する前記各実測図は、図上分筆図であり、書面の体裁からしても、正確性に乏しい。

(2) 中心点がA点である控訴人主張のコンクリート杭(以下「本件コンクリート杭」という)は、昭和五〇年に現在の地点に移設されたものであり、目録一の土地と目録二の土地との境界を示すものではない。

(3) 本件排水設備工事の際にL字型側溝が設置されたのは、本件マンホールを保護するためであり、右側溝は本件境界の判断指標とはなり得ない。

(4) 改築工事第一図面は、被控訴人がその作成に関与しているものではなく、イ'A線上のテントもあくまで仮設のものとして自己所有地を利用して設置したにすぎないのであり、右図面及びテントの設置をもって、被控訴人がイ'A線を本件境界線と認識していたとの推認は根拠がない。

第三  裁判所の判断

一  本件境界の発生経緯

1  本件周辺土地の分筆前の状況、分筆の経緯について

(一) 本件周辺土地の分筆前の状況

証拠(甲一、二、一二の1、一六ないし一八、二一、乙一、一四の1ないし3)に弁論の全趣旨によれば、以下の事実が認められる。

(1) 本件周辺土地(もと八一七番三として一筆の土地。以下「旧八一七番三の土地」という)は、宇田川トリ(以下「宇田川」という)が所有しており、一筆の土地のまま、おおむね現在の佐野禎吉(以下「佐野」という)及び鷹野常吉(以下「鷹野」という)の所有土地から東側地域は宅地として多数の者に使用され、本件石垣から北側は後記分筆当時は畑地であった。そして、本件石垣のすぐ北側に沿って、長年の間に形成された山道様の道(以下「旧道」という)が東西につながっており、その東側は農道様の道(以下「本件通路」という)となって東側の公道に至っていた。

(2) 右の本件周辺の土地の状況、殊に本件石垣の北側の状況及び旧道の存在について控訴人はこれを否定し、これに同調する近隣者らの上申書(乙一三の1ないし7)もあるが、被控訴人のみが前記状況に沿う供述をしているだけではなく、本件石垣の北側は畑地であった旨旧土地台帳に記載されていること(乙一四の1)、昭和一〇年ころから右旧道の直近に居住している鷹野が同旨の状況を述べ、旧道の存在を指摘していること(甲一七、一八。なお、同人と同時期ころから本件周辺土地に居住している者の中に旧道の存在を否定する者もいるが、居住位置との関係や代変わりしていること等に照らし、正確な認識があったものとは認め難い)、更に、後に認定するように、東側私道は農道様の古い道を整備して開設されたものであり、右の基礎となった道は旧道とつながる道であり、これを利用して西方から東方の公道に抜ける道が古くから存在していたと推認するのが合理的であること等の諸事情に照らすと、控訴人の供述や右上申書等は右(1)の認定を左右するには足りないというべきである。

(二) 分筆の経緯

(1) 宇田川は、旧八一七番三の土地全体を昭和二四年四月二六日までに国(所管は関東財務局である。以下同じ)に物納すべく、その手続を了した。

(2) 国は、昭和二五年二月二二日、右土地を八一七番三と七ないし二三の各土地に分筆(以下「国の分筆」という)し、右のうち同番七の土地(以下「旧八一七番七の土地」という)を昭和二四年一二月九日吉村安一(以下「吉村」という)に、分筆残りの同番三の土地を昭和二五年一一月二九日池田瀧治(以下「池田」という。また、右土地を以下「池田土地」という)に、同番一二の土地を昭和二六年二月一九日下平栄二(以下「下平」という)に、同番一六の土地を同年三月二〇日鷹野(以下、右土地を「鷹野土地」という)にそれぞれ払い下げた。

ア 吉村は、昭和二五年一一月二一日、旧八一七番七の土地を同番七と二四(目録一の土地)及び二五の各土地に分筆し、同番二四の土地を同月二四日被控訴人に売却し、被控訴人は、現在に至るまで右土地を所有し、居住している。

イ 池田は、昭和二五年一二月一四日、池田土地を八一七番三と二六(目録二の土地)ないし三〇の各土地に、翌二六年一月一三日、更に右分筆残りの八一七番三を同番三と三一及び三二の各土地にそれぞれ分筆した。

目録二の土地は、昭和二五年一二月一四日、池田から宮本嘉正(以下「宮本」という)に譲渡され、同人は、昭和二九年一二月一六日、右土地を控訴人に売却した。控訴人は、昭和三一年に右土地に転居し、自らの居住地として現在に至るまで右土地を所有している。

同番三二の土地(目録二の土地の西側の隣接土地)は、昭和二七年四月一八日、池田から小林武男(以下「小林」という)に譲渡され、同人が現在に至るまで所有している(以下「小林土地」という)。

ウ 下平は、昭和二六年四月三〇日、前記買受土地である八一七番一二の土地を稲葉士良に売却し、同人は、昭和三六年八月八日、佐野に右土地(佐野土地)を売却し、同人は現在に至るまで右土地を所有している。

エ 鷹野は、現在に至るまで前記買受土地(八一七番の一六)を所有している。

(三) 公図について

(1) 前記認定の分筆の経緯に証拠(甲三、検証(平成六年一二月六日実施)及び鑑定の結果)によれば、昭和二五年二月二二日にされた分筆手続により、旧八一七番三の土地から旧八一七番七の土地(後に分筆される目録一の土地を包含する土地)が分筆され、ここに分筆残りの八一七番三の土地(池田土地。後に分筆される目録二の土地を包含する土地)と旧八一七番七の土地との境界として本件境界が生じたものであることが認められ、かつ、右境界線は本件周辺土地の状況、既在の本件石垣の存在(その形状の詳細は後記のとおり)を考慮した上で一筆の土地を分筆したものであることから、直線とされたものと推認される。

また、右分筆により、併せて旧八一七番七の土地と佐野土地との境界も画されたものであるから、本件境界線が佐野土地と接する点(ロ点、イ"点及びA点を含む佐野土地の西側を画する直線上のいずれかの一点)及びイ点は国の分筆により生じたものであり、イ'点はその後の昭和二六年一月一三日の池田の分筆により生じたものである。

そして、当時の分筆手続は昭和二五年七月三一日改正前の旧土地台帳法二六条、同法施行規則七、八条に依拠して行われたものであるところ、右によれば、本件での右分筆手続は地積の測量図を添付してなされたものであり、これに基づいて前記経緯の下に公図に区分線が記入されたものと推認されるから、公図の区分線には相応の合理的根拠があることは否定できない。

(2) しかしながら、例えば本訴で右地積の測量図に該当するものと思われる実測図(乙四、五及び一五の1ないし4)を検討して明らかなように、基点も定かではなくセンチメートル単位にまでわたって現地での特定を可能とするほどの正確性を認めるに足りる測量図とはいい難く、また、右実測図相互間の整合性も必ずしも判然とせず、現況とも食い違いが散見され、更に、右各図面から公図にどのような方法で分筆線が記入されたのかも明らかではないこと等を考慮すると、公図の区分線のみをもって本件境界の位置を細部にわたって確定することには疑問があるものというべきである。

(3) 右(1)(2)によれば、公図に示された区分線は細部の特定を置いては相当な正確性を有するものといってよく、殊にその区画線が直線であることは信頼できるものというべきである。

2  本件境界の基本的な形状

右に認定したところに基づき考察すれば、本件境界を含む目録一の土地の北側辺の基本的形状は、イ点を西の起点として東に伸びる直線であり、東端は佐野土地の西側を画する直線(目録一の土地との境界線)と交わる点であり、右交点は同土地の北西部分辺りとなることが明らかである。

二  本件境界の具体的な位置

そこで、右基本的な形状の本件境界が具体的にはどこに確定されるべきかについて判断を進める。

1  前記認定に証拠(甲一、二、四ないし一一、一五、一七、一八、二〇ないし二五、乙二、六の1及び2、七の1ないし3、八ないし一二、一七、二五の1ないし4、二六の1及び2、二七、控訴人及び被控訴人各本人、検証(第一、二回)、鑑定の結果)に基づき本件周辺土地の状況を更に詳細に検討してみると次のとおりである。

(一) 被控訴人が目録一の土地を買い受けた昭和二五年一一月当時、右土地は、隣接する北側の土地(池田土地。現在は目録二の土地と小林土地の一部である)より西端(イ点)付近において約一メートル、東端付近において約一〇センチメートル高くなっており、右段差部分に沿って東西に直線状に本件石垣が築造されていたが、右石垣はこれを構成する大谷石の側面が目録一の土地の北側の土地への崩落防止の土留めの役割を果たすような形で前記物納以前から築造されていた。また、本件石垣の北側に沿って東側私道の基礎となる本件通路に連なる旧道があった。被控訴人は、目録一の土地の購入に際し、売主吉村から本件石垣の北面に沿う線が同土地とその北側隣接土地との境界であるとの説明を受け、本件石垣を含めて目録一の土地を購入したものである。

また、控訴人も被控訴人の右購入から約四年後である昭和二九年一二月に目録二の土地を買い受けた際、売主宮本から本件石垣の北面が目録一の土地との境界であるとの説明も受けている。

なお、控訴人と被控訴人との間で平成二年に本件境界に関し紛争が発生する以前には、本件石垣の北面が本件境界を指し示すものであることは、控訴人・被控訴人間だけでなく近隣の住民の間でも了解されていたことである。

(二)(1) 目録二の土地、佐野土地及び鷹野土地の居住者らは、東側の公道に出る以外に公道に出る方法はなく、昭和五〇年までは旧道からほぼ直線状につながる本件通路を利用して東側の公道に出入りしていたが、後記のとおり昭和五〇年に右通路を整備して、東側私道として利用している。

なお、本件全証拠を検討しても、東側私道の正確な所在位置の特定、各所有土地拠出の負担割合、管理状況等については明らかではない。ちなみに、東側私道は、昭和五〇年の整備当時において幅員約2.6メートル、総延長約二七メートルの規模のものであったが、右道幅が古い農道様の道程度のころからどのような変遷を経て右整備当時のものとなったのかも明らかではない。

(2) 被控訴人及びその家族らは、目録一の土地で居住を開始して以来、南側にある公道に出入りしていることから、東側私道を利用する必要はなかったが、後記の平成二年の紛争発生に至るまでは、近隣との交際、ゴミ出し等の日常生活を営む中で、裏手に位置する本件係争地を通って東側私道も利用していた。そして、右利用に対して、控訴人その他の右私道沿いの土地所有者らから格別異議を申し立てられたことはなく、何ら支障なく利用していた。

(三) 昭和三七年二月当時の本件境界東端付近の状況

本件境界の判断資料となる最も古い写真は昭和三七年二月当時の佐野方北西角付近を撮影したもの(乙二。以下「本件写真」という)であり、かつ、これは本件排水設備工事前の状況を写しているものであるから、これを参考に当時の本件境界東端付近の状況について考察してみる。

(1) 本件写真から窺う限り、昭和三七年二月ころにはH点辺りにコンクリート杭が存在することが認められる。しかし、控訴人が主張するA点をその中心点とするコンクリート杭の存在は認められない(以下、右H点のコンクリート杭を「旧コンクリート杭」という)。佐野土地の北西角部分には大谷石塀が構築されており(構築時期は不明)、ほぼその北西角辺りからA点とB点とを結ぶ直線(佐野土地と目録一の土地との境界線の一部)を北側に延長した線(以下「AB延長線」という)に沿って南北方向に、長方形の加工された人口石による高さ一〇センチメートルに満たないと思われる石積み(以下「本件石積み」という)があることが認められ、右石積みの東側の土地地表は同石積みの頂部面と同じ高さであり、同石積みの西側の土地地表より一段高くなっているので、同石積みは東側私道の前身である通路の当時の西側の終端を示すものと考えられる。旧コンクリート杭は、本件石積みで示される右通路の西側の終端並びに佐野土地西側の境界線の徴表である佐野土地の大谷石塀西端角及びAB延長線からは東方へほぼ一五センチメートル程度離れて存在するのであるから、右コンクリート杭が佐野土地の西側を画する境界線上に存在する本件境界の東端点を指し示すものであるとは合理的見地からは考えられない。

(2) 本件石積みの西側は東側私道の前身である本件通路よりも低いものの平らに整地されており、本件石垣は、頂部を除きほぼ埋没した状態で一列に右石積みに接する地点まで続いている。本件石積みと本件石垣の北面が接する地点は、明らかにA点ではなく、それよりもかなり北側寄りの地点である。本件石垣と右石積みとの接点及びその西側付近において、本件石垣の南側と北側、すなわち目録一の土地と目録二の土地との間では土地に高低差があるとは認められない。

(四) 本件排水設備工事の状況

昭和五〇年、東側私道が整備されたが、その際、東側私道を利用する控訴人、佐野、鷹野ほか二名が区の補助を受けて生活排水設備を設置するために工事を行った。

本件排水設備工事に際して、H点付近に街灯の支柱である緑色の金属柱が設置されたため、旧コンクリート杭は、ほぼ西側に約一五センチメートル移動したA点の位置に移設された(右移設後のコンクリート杭が控訴人のいう本件コンクリート杭である)。また、A点から西北方向に斜めにL字型側溝が設置されたため、東側私道終端の形状は、昭和三七年当時の石積みによるものとは大きく異なることとなった。

さらに、本件排水設備工事の一環として、東側私道終端より東側にイ'A線上にまたがって本件マンホールが設置されたが、右設置工事に伴い本件石垣についても東端部付近が撤去され、撤去された部分の西側の部分も本件石垣を構成する大谷石数枚分の長さにわたって一度は掘り起こされた後に埋め戻されるなど大きく手が加えられるに至った。なお、本件マンホールは、被控訴人が自己の費用負担において設置し使用するものであるが、設置の申請に当たっては、控訴人と被控訴人の協議により、控訴人が自已の名義で設置を申請している。

右のマンホール設置に関しては、控訴人と被控訴人の間及び控訴人と佐野・鷹野らの間で設置位置等をめぐり協議が行われたものの、L字型側溝設置及び旧コンクリート杭の移設に関しては、協議の有無、設置・移設の経緯、立会い状況については一切明らかでなく、特に、旧コンクリート杭の移設に関しては、佐野が移設自体の認識を有していないほか、被控訴人も全く関与していないというのであるから、事前協議等はなかったものと推認するのが経験則に合致し合理的である。

なお、本件排水設備工事以降、A点周辺には格別の変更は加えられていない。

(五) 被控訴人方改築工事の状況

(1) 被控訴人は被控訴人方改築工事を氷川商事に請け負わせ、同会社の担当者であった間野周三(以下「間野」という)は、右工事に先立ち、工事設計図(乙七の2。改築工事第一図面)を作成し、これに目録一の土地と東側に隣接する佐野土地との境界線(以下「東側境界線」という)の長さを13.189メートルと記載したが、東側私道は記載していない。そして、平成二年六月七日、被控訴人と間野が右図面を控訴人方に持参して控訴人に手渡し、被控訴人方改築工事の際に東側私道から目録二の土地を利用して資材を搬入することの了承を求めた。しかし、控訴人が、これに対しイ'A線上に塀を設置し、目録二の土地を被控訴人に通行利用させないなどと被控訴人の申出を了承しない旨回答したことから、被控訴人と控訴人の関係は険悪となり、これが本件紛争の発端となった。なお、改築工事第一図面には、控訴人に交付された時点では現コンクリート杭の記載はなく、右の記載は後に控訴人自身が被控訴人の同意を得ることなく勝手に記入したものである。

間野は、改めて、本件境界を本件石垣の現状に従って特定し、目録一の土地の東側境界線の長さを13.350メートルと記載し、併せて東側私道を記載した図面(乙七の3。以下「改築工事第二図面」という)を最終的な工事設計図として作成し、同月二二日、控訴人方に持参した。なお、右図面が建築確認申請書に添付されている。

(2) その後、被控訴人は、イ'点からA点までの間に目録一の土地と目録二の土地との間の塀の代用として仮設のテントを設置した上、被控訴人方改築工事を行った。現在に至るまで右テントは設置されており、その位置は、イ'点から本件石垣の南側を経由しその東端はA点に接しているというものである。

(六) 本件石垣付近の現況

(1) 本件石垣を構成する大谷石は幅一六センチメートルであり、イ'点付近においては二段積みで、イ'点付近から東側部分は一段積みで築造されている。

本件石垣は、イ点からイ'点を通り、さらに東へと続いているが、本件排水設備工事の際の一部撒去によりA点あるいはAB延長線には達しておらず、本件マンホールの手前で途切れている(本件石垣の現況における東端を以下「現況終点」という)。

(2) 本件石垣の西端寄りの北面であるイイ'線が目録一の土地と小林土地との境界であることは、控訴人、被控訴人及び小林の三者が共に認めるところであり、イ'点には本件石垣(二段積み部分)にほぼ垂直に目録二の土地の西端に設置されたコンクリート塀が接している。目録二の土地と小林土地とは高低差はなく、右両土地と目録一の土地との間の高低差は、イ点において約一メートル、イ'点において約三〇センチメートルであり、ロ点付近では目録二の土地と目録一の土地との高低差はほとんど認められない。

(3) 本件石垣のうちイ'点から東側部分について、イ'点とロ点とを結んだ線(以下「イ'ロ線」という)に沿って紐を直線に張り渡した状態で、紐と本件石垣北面との隔たりを計測すると、平成六年一二月六日当時、イ'点からロ点方向への距離三メートルのとき北側へ三センチメートルの地点(以下単に「三メートル地点」という。他の地点についてもイ'ロ線上でのイ'点からの距離により表す)、四メートルのとき北側へ四センチメートルの地点、五メートルのとき北側へ五センチメートルの地点、六メートルのとき北側へ4.5センチメートルの地点、6.3メートルのとき南側へ三センチメートルの地点、6.6メートルのとき南側へ四センチメートルの地点、七メートルのとき南側へ五センチメートルの地点、八メートルのとき南側へ九センチメートルの地点、一〇メートルのとき南側へ一一センチメートルの地点、一一メートルのとき南側へ一一センチメートルの地点、一二メートルのとき南側へ一五センチメートルの地点にそれぞれ本件石垣の北面が存在した。

(4) 本件石垣には、六メートル地点と6.3メートル地点の間で、西側(イ'点側)が北へ、東側(ロ点側)が南へというように南北方向にずれが生じ不連続となっており、イ'点と現況終点との間で直線を形成しているものではない(以下、ずれが生じている地点を「断絶点」という)。イ'点から断絶点までの本件石垣の状況は、頂部面は水平でなく北側に低く傾斜し(最大傾斜は六メートル地点で三センチメートルである)、本件石垣と同じか若しくはより高い目録一の土地の圧力により、本件石垣より低い目録二の土地の側へ北方向に押し出されたことが明らかな形状を呈している。

これに対し、断絶点から東側の本件石垣の状況は、高低差についていえば、断絶点に近い部分では、本件石垣頂部面よりも目録一の土地の方が高いが、東側に向かうに連れ、右の高低差は徐々に消失し、現況終点手前付近では本件石垣と目録一の土地及び目録二の土地との高低差は全くなく、本件石垣はその頂部面も一部が埋没しているという状態であり、ずれについていえば、断絶点のすぐ東側の石がずれの影響を受けてその西端部が多少北側に移動しているものの、それ以外の石は現況終点に向かってほぼ直線かつ水平に並んでいる。

(七) 本件石垣の現存地点からみた本件境界の位置

(1) 証拠(検証(第一、二回)、鑑定の結果)に基づき、本件石垣の北面が存在するとされる各地点、すなわち6.3メートル地点から一二メートル地点までの計七地点及びK2点、とイ'点を結んだ線を東側に延長した直線とAB延長線との交点を計算により類推すると、A点から北側へ約二五センチメートルから約三三センチメートルの地点に分布することになる。

なお、(六)(4)で認定のごとく、イ'点から六メートル地点までの各点は明らかに目録二の土地側に移動しているものであり、また、K1点については、本件図面においてイ'ロ線よりも北側に記載され、北側にずれた部分の地点であると考えられるので、これらの各点を除外することが妥当である。また、右類推の資料とした各点も本件排水設備工事の際の移設により移動を生じている可能性が大きく、右はあくまで原状からの類推にすぎないというべきである。

(2) 検証(平成六年一二月六日実施)の結果によれば、イ点とA点を結んだ線がイ'点の九センチメートル南側を通るというのであるから、これを基にイイ'線を東に延長した線とAB延長線との交点を計算により推測すると、A点の北側約三三センチメートルの地点(イ"点)になるということは、原判決が認定したとおりである。

2 一で認定した本件境界の発生経緯及び基本的な形状に、以上において認定された本件石垣に関する諸事実(特に築造時期、控訴人・被控訴人・近隣住民の本件石垣に対する認識、イイ'点間おいて本件石垣の北面が目録一の土地の北側辺を指示することに争いがないことなどの点)を併せ考察すると、本件境界は、イ'点とイ"点とを直線で結ぶ線と確定することが合理的というべきである。

なお、右の結果、目録一の土地の北側辺はイ点からイ'点を通りイ"点へと伸びる一本の直線、すなわちイイ'線の延長線、であるということになり、右の点からすれば、本件境界は被控訴人が主張するイ'ロ線であるとも考えられるが、証拠による限り、イ点からイ'点を通り伸びる直線とAB延長線との交点はイ"点なのであるから、被控訴人の主張するロ点が実際にはイ"点に該当することになる。

三  控訴人主張の検討

本件境界は、以上に認定、判断したとおりであり、控訴人が反対の論拠とする点は以下のとおり理由がない。

1  実測図一及び実測図二について

(一) 前記認定事実に証拠(甲一、二、一六、乙一、四、五、一四の1ないし3、一五の1ないし11、一六、控訴人本人、鑑定の結果)によれば、以下の事実が認められる。

(1) 実測図一及び二は、もと宇田川トリ所有地の一部につき、昭和二四年一〇月一〇日、国により分筆のために作成され、その後分筆に従って払下げが行われた際各土地取得者に交付された多数の実測図のうちの二枚であると推測され、実測図一は、佐野土地に関する図面であり、実測図二(ただし、控訴人の主張によれば原図を控訴人が模写した図面であるというのであり、右図の正確性自体不分明であることを考慮すると、実測図二の正確性には少なからぬ疑問が残る)は、池田土地に関する図面である。なお、実測図一についてもその作成目的、作成経緯、起点の特定等定かではなく、特に現地での特定性の点でその正確性には明確な裏付けがあるとはいえないが、以下にはこの点をひとまずおいて、検討を加えることとする。

(2) 実測図一及び二のみに基づき、旧八一七番七の土地、池田土地及び佐野土地の位置関係を検討すると、佐野土地の北西角部分と池田土地との東南角部分が0.65間(約1.1817メートル、以下一間を1.818メートルとして換算する)にわたり互いに接するものとなっており、その接合面の東南側終点は右三者の土地が接する境界点(以下「三筆境界点」という)となることが窺われる。

(3) 実測図一によれば、旧八一七番七の土地と佐野土地との境界、すなわち佐野土地西南端から三筆境界点までの距離は6.90間(約12.544メートル)である。一方、本件境界をイ'A線とした場合、右境界(現況では目録一の土地と佐野土地との境界)はA点とB点とを結んだ線となり、本件図面中AB間の距離は12.594メートルであり、他方、本件境界をイ'ロ線とした場合、右境界はロ点とB点とを結んだ線となり、本件図面中ロB間の距離は12.962メートルである。

他方、実測図二によれば、旧八一七番七の土地と池田土地との境界、すなわち同図上でとある点から三筆境界点までの距離は9.85間(約17.907メートル)である。一方、本件境界をイ'A線とした場合、右境界(現況では小林土地及び目録二の土地と目録一の土地との境界)はイ点とA点とを結んだ線となり、本件図面中イA間の距離は17.732メートルであり、他方、本件境界をイ'ロ線とした場合、右境界はイ点とロ点とを結んだ線となり、本件図面中イロ間の距離は17.721メートルである。

(4) 実測図一及び二並びに同種の書面と考えられる乙第一五号証の1ないし4の記載を検討すると、計測結果が「間」単位で小数点以下第一位あるいは第二位まで記載されているが、二、三の例外を除き最小の位の数字が〇あるいは五となっている(面積計算に用いられた数値はすべて最小の位の数字は〇あるいは五である)。

(5) (4)記載の書面には、測量年月日及び分筆後の土地所有者の記載はあるものの、作成年月日、作成者、分筆後の地番等の記載はみられず、払下げ後の所有者欄の記載をもって個々の土地との関連が窺える状況である。

(二)(1) 控訴人は、前記(2)の佐野土地と池田土地との接合状況とA点付近のL字型側溝の現況とが類似することから図上の三筆境界点がA点と一致するとし、このように解すると、前記(3)記載の実測図上の距離と本件図面における計測結果とが僅かな誤差を生じるにとどまるから右推論は正しく、A点は本件境界の終点であると主張する。

(2) しかし、A点付近の現況は、本件排水設備工事の後に出現したものであって、昭和三七年当時には右接合状況を指し示す痕跡は現場に全くみられないこと、むしろ、昭和三七年当時にはA点上にコンクリート杭すら存在しないこと、などの前記認定の諸事実に照らすと、現況との類似性をもって、図上の三筆境界点がA点であると断定することは著しく合理性を欠くというべきである。

(3) 実測図における計測結果については、右(2)の検討から、本件図面における計測結果との比較は前提を欠くことになる。仮に、三筆境界点とA点が一致するとしても、各数値を比較するとそれぞれ食い違い一致するものではないのであるから、その誤差を無視することはできず、どれか一つの測定結果のみを本件境界確定のための根拠とすることはできないというべきである。また、(一)(4)の事実からすると、いかに分筆のための測量であるとはいえ、実測図における測定結果には不自然さは否定できず、むしろ、計測の最小単位が0.05間(90.9ミリメートル)ではなかったかとの推測が及び、(一)(5)の事実と併せ考えると、その計測の正確性については疑問を抱かざるを得ない。

(三) 以上の検討によると、実測図一及び二をもって、本件境界の終点がA点であるとすることはできず、右図に記載の数値により、本件境界を定める指標とすることもできないというべきである。

2  控訴人は他に改築工事第一図面、改築工事第二図面及び乙一〇の図面も本件境界確定の指標となると指摘するようであるが、これらの図面は、本件排水設備工事及び被控訴人方改築工事を遂行する目的で作成されたものであり、本件境界を確定した上で記載することをその目的とするものではなく、また、現実にも本件境界確定のための合理的な手続を踏んでいるものではないから、本件境界を確定するための指標となるものではないというべきである。

なお、付言するのに、改築工事第一図面については、被控訴人方改築工事に際して被控訴人側で作成されたものであるから、被控訴人の当時の境界線に関する認識を示すものではないか(右認識が客観的合理性を持つかはしばらく置く)が問題となるが、被控訴人の供述によっても、右の作成にどの程度被控訴人自身が関与したか明らかでなく、本件排水設備工事以降の東側私道終端の現状、改築工事第一図面の作成時には現コンクリート杭は示されていないこと、改築工事第二図面によって直ちに修正されていること等の前記認定の事実も併せ考慮すると、これをもって、被控訴人が、改築工事第一図面作成当時、本件境界がイ'A線であると認識していたと断ずること自体合理性を欠くものというべきである。

3(一)  控訴人は、本件石垣の終点は元来A点であったが、現況は北側にずれており、現況の石垣を判断基準とすることは相当ではないと主張するので、右主張の本件石垣の移動状況について検討する。

(1) まず、本件石垣の移動の有無について検討すると、現在の目録一の土地と現在の目録二の土地との間に前記認定のとおり高低差があり、その段差部分に右石垣が構築されていたことに照らすと、本件石垣が経年により北側に傾きやずれを生じることは否定し難い。現に、前記認定にみるイ'点から断絶点までの間の本件石垣の現状はその証左であるといえる。

しかし、断絶点から現況終点に至るまでの石垣については、石垣自体及び周辺土地の現況を考慮すると、本件石垣が部分的に傾きやずれを生じていることは認められるものの、石垣の基礎自体が目録二の土地側へ移動したものとは認められない。また、石垣の終点付近においては全く段差がなかったことは前記認定のとおりであり、すると、右付近においては本件石垣は人為的移設がなされない限り構築時の状態に変動のないことを推認させるものである。

控訴人は、昭和三七年以前に既に土地の段差により本件石垣の移動が生じており、その後も土地の段差により移動が生じたと主張する。しかし、仮にそうであるとすれば、なぜ少なくとも本件石垣東端部に関しては、昭和三七年当時には本件石垣の南側と北側とで段差がないという状況であったのか、昭和三七年当時段差がないのになぜその後移動が生じたのかなどの点につき、合理的な説明はなく、控訴人の本件境界に関する認識を前提とすると、不合理といわざるを得ない。

(2) 控訴人は、本件排水設備工事の際、本件マンホール設置に際して必要となる空間確保のため、目録二の土地側に傾いていた東端から六枚程度の大谷石を傾きを整復することなくそのままの位置で垂直方向に埋め戻したので、本件石垣はさらに目録二の土地側へ移動したと主張する。

しかし、大谷石を取り除く必要があったとしても、右のような埋戻し方法を取ることは、現在北側に傾いている部分の石垣を想起してみても、相当程度目録二の土地側への石垣の移動を引き起こすものであることがみてとれ、控訴人がもともとA点へと至っていた本件石垣の北面が本件境界であるとの認識を有していたことからすれば、傾きを整復し本来あるべき位置に埋め戻すなど少なくとも自己の不利益とならないよう行動することがむしろ通常であり、控訴人主張のような埋め戻し方法をとることは不自然であり、右主張はにわかには採用できない。

(3) 控訴人は、控訴人の土地取得時にはA点上にコンクリート杭があり、本件石垣は右境界線に向かって伸びていたと述べる。

しかし、当時A点上にコンクリート杭があった旨の指摘については控訴人の供述以外にこれを裏付けるものはないのであり、本件コンクリート杭は昭和三七年当時には存在せず、異なる位置に旧コンクリート杭が存在するにすぎないこと、昭和三七年当時の旧コンクリート杭の存在位置は、佐野土地、目録一の土地及び目録二の土地の三筆の土地の境界点の位置としては極めて不自然である上、右地点が境界点であることを示す徴表が全く見られないこと、そして、本件排水設備工事の際にA点にコンクリート杭が移設されたにもかかわらず、控訴人、被控訴人及び佐野のいずれもが右コンクリート杭の移設について合理的に説明できないこと、などの前記認定の諸事実を併せて考慮すると、コンクリート杭に関する控訴人の供述には不自然な点が見受けられ、現在A点上にコンクリート杭があることの一事をもって直ちに本件境界がイ'A線であるということは到底できないものである。

なお、控訴人は、右の移設の事実は移設の方向・距離等からして控訴人主張のごとく本件境界を認定することの妨げになるものではないとするが、コンクリート杭の移設という重要事項に関しあいまいである控訴人の供述は、(1)の本件石垣の移動状況及び(2)の本件石垣の移設状況からしてもやはり採用し難いものである。

3  以上の検討から、控訴人の主張はいずれも本件境界確定の根拠として合理性を有せず失当なことが明らかというべきである。

四  以上のとおりであるから、原判決は結論において是認できる相当なものであり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、控訴費用の負担について民事訴訟法九五条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官藤村啓 裁判官髙橋光雄 裁判官岩渕正樹)

別紙

別紙物件目録<省略>

別紙図面各点説明文<省略>

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